H29.8.25 金
68歳で亡くなった父の日体大の17歳年下の後輩の山田さんが宿泊されました。
H27.11に放映されたBSジャパンで"気まぐれ下車の旅"
http://mochidaya.exblog.jp/24946441/で
MCの金子さんに尋ねられた私が旅館の客室名が父親の三段跳びにちなんでホップ・ステップ・ジャンプ・チャンピオン・ブロードであると話しているのを観て横浜にいらっしゃる山田さんからTVを見たとお電話を頂きました。
そして昨日、山田さんは”全山陰陸上競技大会優勝者”の記録の父の三段跳びの箇所をコピーしてきてくださいました。父は昭和23~32の間に7回の優勝、その15年後は兄が同大会で優勝し父の”持田杯”のカップを手にしました。
父はスポーツ万能で陸上・体操競技・・・大学時代はサッカーもしていました。
陸上競技の試合に出始めたのは教師になった頃で兄が生まれたS23年に初優勝したようです。
父は誰に対しても態度が変わらず弱者にとてもやさしく、困っていたり病んでいると全力で助けてくれる人でした。
私が母に代わって旅館を始めたと同時期に体調を崩し一年後亡くなってしまいました。
父は病床で8つの言葉を残してくれ、その一つに「あまり神経質にならないで楽々商売せよ」
最後の8つ目に「くれぐれも健康に気をつけよ」
父の言葉を守らなかったので60歳を過ぎて人生の崖から転げ落ちてしまいました。
また父も「その程、持田屋旅館を視察する」との約束を守らないまま視察しないで逝ってしまいました。
父が生きていてくれていたら・・と思うことはしばしばありました。
ジェームスディーンばりのなかなかのハンサムでした。
