H27.2.24 TUE
昨日63歳になりました。
母と友達のチエちゃんとお茶してるとリピーター、イエ友達の、イエ弟分のマー君が近くまで来てるとTELがありました。数分後、お花とケーキを持って「お誕生日おめでとう」とマー君登場。私より?母の方が大喜びでした。
早速、みんなでケーキを頂きながらお話しにも花が咲きました。
女子はいくつになってもお花のプレゼントは嬉しいもんです
残ったケーキは明日頂きます
いつまでも残るケーキも頂きました
友達のめしこからも可愛いブラウスなどなど送ってきました。
他にも心温まるメールや電話もありました。
みなさんホントにありがとう!
小さい頃の私は母に心配かけまいとわがままも言わないそんな子でした。多分その頃からの鬱積が今回の鬱発症の原点であったかと思われます。ただし、それだけでは発症しなかったけど、風ちゃんの死による喪失感をきっかけに、またもうひとつ長年我慢をしてきた事が耐え難くなってきた結果、鬱を発症したのだと思われます。
体調を崩してから1年2ヶ月、藁にもすがる思いでありとあらゆる事を試してきました。中でも心療内科はひとつとしていいことはなく専門であるどの医師も人の心を読み取る能力に欠けていました。
人生経験豊富で心の豊かな人でなければ、鬱に関わらず弱者の気持ちを察することは出来ません。
私は心療内科医以外の人たちに支え寄り添ってもらい、最悪な時を過去のものとして今も少しづつ回復に向かっています。
2月3日、心の変化というよりしまっておいた憂いを受け入れようとする自分に気付き、最近は新たに確信を持った幾つかを試みています。
その一つに母には傍にいてくれるよう頼みました。89歳の母は毎日のようにここに来て、体を擦ってくれます。
また、高徳寺の住職が言われたことの意味が解らず不審に思っていましたが言われた通り母方のお墓参りをして3度めにその意味が解ってきました。もうしばらく高徳寺には行こうと思います。答えは自分で見つけるものです。
そして、親しくしていただいている鰐淵寺のご住職に、当館のHPでお勧めしている”おみくじ”を見て頂きました。そして心の全部を吐き出しました。今この時、鬱で良かったと仰っしゃるご住職、鬱でなく元気な私だったら喧嘩になり相手の思うがままになりひどい目にあったかもしれないと。そお言えば、今まで正義・正論をぶつけて勝った試しがない。
鬱になったからこそ、生き辛かった人生の軌道修正を今ここで行う機会を得たと思うことにした!